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ピーチ航空で鹿児島・大阪を往復

初めての大阪であるが、

5月12日13:00から16:00までの所用で

その日のうちに帰るという

強行スケジュールを行った。

 

ネットで調べて、

運賃が一番安くて、

運行時刻もスケジュールにあっている

鹿児島8:45発のピーチ航空を選んだ。1週間前のことである。

 

3、4のサイトを検索していた中で、

あるサイトでは

7000円台と安めの運賃を紹介していたにもかかわらず

いざ申し込みサイトに飛ぶと

11000円台に跳ね上がってしまうサイトがあった。

いかにも信用できるようなサイトだったので

同じ検索を数回繰り返してしまった。

時間の無駄になってしまった。

結局、

別のサイトからピーチ航空のサイトに飛んだのが1番安かった。

トータル運賃は、シート代も含めて往復16750円だった。

座席予約もできて、

コンビニのローソンに専用の機械があり、

簡単に決済ができた。

 

飛行当日は、

空港まで自家用車で行き、

以前利用したことのあるフクナガ駐車場を選んだ。

屋根なしより少し値段が高めの屋根付きを選択した。

それでも1日700円である。

鹿児島は桜島の灰が降ることもあるし、

その日は午後から大雨の予報が出ていたので

屋根付きを選んだ。(実際、帰ってきたら豪雨だった。)

そして、無料送迎車があるのも便利で、

帰りも電話一つで空港から駐車場まで送ってくれる。

使い慣れると非常に便利だ。

 

送迎車で空港に到着すると

初めてのピーチ航空のチェックイン手続きである。

チェックインカウンターが、

どこにあるか知っていなかったので不安だったが

入り口ロビーを通過すると

左方向にイメージカラーである鮮やかなピンク色が

目に飛び込んできたのですぐにわかった。

 

チェックイン機で航空券を発券し

保安検査場に向かう。

未開封のミネラルウォーター(500ml入りペットボトル)を

バンに入れてあったのだが

それを検査されたのは少し驚いた。

 

搭乗手続きに入ると

窓の席の人から順に真ん中、通路側と

3回に分けて案内があり、搭乗した。

搭乗してわかったことであるが、

シートとシートの間が狭く移動が困難であることがわかった。

狭い空間にいかに座席数を確保するか、

安い運賃を実現するための

企業努力を感じた。

 

大阪までの空の旅は快適で、ほぼ寝ていた。

 

約1時間後に関西国際空港には到着した。

予定場所のJR大阪駅には

空港からJRで行こうと思っていたのだが

到着した第2ターミナルにはJRがなかった。

少し焦ってしまい、右往左往してしまった。

うろちょろしていると

第1ターミナル行きのバス停があり、

人が並んでいたので

そこでJRのことを聞いて

安心して関西空港駅がある第1ターミナルに行くことができた。

約10分かかった。バス代は無料だった。

目的の大阪駅には1時間ちょっとでついた。

運賃は、1190円だった。

 

復路は、

同じルートなので簡単に帰れると思っていたが

大阪駅より出た電車が8両編成で

1両から4両は関西空港行き、

5両から8両は和歌山行きとなっていた。

 

私はすっかり関西空港行きだと確信していたので安心して乗車していた。

ところが途中で車内放送があり、やっと理解できた。

私が乗車していたのは5両目であった。焦った。

人をかき分けて4両目に移動しようとしたが、

4両目と5両目は人が移動できる構造でないことがわかった。

次の駅で移動することができて胸をなでおろした。

しかし、移動してもこれが4両目なのか

確信するまでに少し時間を要した。

車両を示す表示が小さかったので

わかりづらかったのである。

 

無事に関西空港駅についた。

第1ターミナルから第2ターミナルに無料バスで移動した。

 

鹿児島空港周辺に活発な雨雲が発生し

運行に支障をきたす可能性があるということで

予定出発時刻より30分遅れの

関西空港に引き返すこともありうるという条件付きの

フライトとなった。

幸運にも無事鹿児島空港に着陸してくれた。

パイロットに心の中で『ありがとう』と呟いた。

 

空港のロビーを出る頃には

雨脚が一段と強くなっていた。

しかも横殴りの雨である。

本当に無事に着いてよかった。

全てが記憶に残る思い出となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

毛筆で書くことは実に面白い

私が幼少の頃、

親父は都会に出稼ぎ、

お袋は布団縫いで生計を立てていた。

お小遣いをもらうとか、おやつを買ってもらうとかなかった。

で、家族の家計は、

お袋、妹、私の3人の1日の食費を確保するのがやっとだった。

 

そういう中で、小学3年になった頃、

道教室の募集があった。

授業料は、

小学校の先生が教えてくださるということで無料ということだった。

私は、学校の授業以外で何かを学べるということに

当時ものすごい魅力を感じており、

その勢いでお袋に「書道教室に入りたい」といったところ、

頭ごなしに「授業料は無料でも書道用具を買うお金がない」と言われた。

ショックだった。

私は素直に受け入れることができなかった。

怖いお袋に初めて反抗した。

「かあちゃんは子供が好きなことをどうしてやらしてくれないのか」と。

私は泣いてしまった。

生まれて初めて自己主張した瞬間だった。

 

翌朝、入会申請書にお袋の文字があった。

一通り書道用具も買ってもらった。

頑張って上手な文字を書けるようになっていこうと決意した。

実際の書道練習は、

真剣に励み、それ以外では

例えば全校清掃時間が早めに終わった時など

小さな定規みたいな竹の切れ端を見つけて

それを筆として応用し、土のグランドを半紙に見立てて

払いの練習をした。

時には、文字の形(手本)をイメージして描くこともあった。

この練習方法はかなり面白かった。

これが功を奏したのか、2、3年経過した頃はかなり上達していた。

半紙・墨汁代も節約することができ一石二鳥だった。

小学6年になると、

有段者になっており

秋の学芸会で

全校生徒の前で毛筆書きを披露することになった。

それも壇上である。足がガクガク震えた。

いざ書き出すと少し落ち着いてきて集中できた。

『努力』と書いた。上手く書けた。

先生に「力強くて良い字が書けたね」と褒められた。

照れ臭いが、嬉しかったのを覚えている。

私はこの経験を通して

書道を書く時に限っては緊張しなくなった。

みんなに囲まれて見られていたとしても、である。

ただ基本的に人前に出て話をすることは50歳を超えた今でも緊張するし、苦手である。

 

中学・高校時代は、書道以外の部活動を選択したが、

たまに親戚のおばさんに書き物を頼まれたり、

模造紙4枚つなぎのものに400文字ぐらいの有名な詩を毛筆書きしてくれと

依頼されたこともあった。

これで作品の文字の配置の仕方、構成力も

自然のうちに身についていったと思う。

 

大学ではもっと専門的に書道を深く探求しようと部活動に専念した。

プロの書道の先生の指導も受けることができた。

その中で印象に残っている言葉がある。

いわゆるボールペン書きは、

基本的に、たて・よこの平面行動であるが

毛筆書きは、

たて・よこに加えて、高さ(上下)が加わる立体的行動である。

だから、一人一人違った線が出て、個性が出る。

書道は線質が大事である。

私個人の線質を出すときの持ち方は、

筆の柔らかさを指先で感じ取れるぐらいの力でもつ。

じかーっとは握らない。

じかーっと握るとその時点で生き生きとした線は書くことができない。

それができるようになったら、

ちょっと力を入れて握ってごらん。

線が太くなりますよ。

今度は力を少し緩めてごらん。

線が細くなっていきますよ。

このように太くしようとか細くしようとか思わなくても、

握る(筆を触る)力加減で

線は太くなったり細くなったりするのである。

だから、書には心が表れるのである。

私は、ボールペン書きは思うままに書けないが

筆書きは、手本が無くても思うままに書くことができる。

白の空間に、黒の線を入れていくのが

書道の作品であるが

いい作品というものは黒い部分の線というよりは

以外に白の部分が光り輝いて見えるものだ。

白が美しく見えるのがいい作品とも言える。

そういった観点で展覧会を見て欲しい。

ああ実に書道は奥が深いし、毛筆で書くことは面白い。

 

 

 

 

擦り傷をワセリンで治す

ある日の朝、公園のベンチで読書をしていた。これから朝食を食べに帰ろうと立ち上がり、2、3歩進み、ちょっと早めに歩こうとして体を前に少し傾けた途端、踏み出す足が前に出ずに両足が揃ってしまいこけてしまった。

 

転ける時の状況は、というと

右手にスマホ、左手に文庫本、両手がふさがっていたので顔から落ちて顔がぐしゃぐしゃになるかと思ったが、幸運にも両足の膝小僧の打撲と右腕の手首から肘にかけて擦り傷を負っただけで済んだ。左手の小指と薬指も負傷した。

 

治療としては、白色ワセリンと家庭用サランラップで治してみようと決めた。

  1. 血が出ている部分を公園の水道で綺麗に洗い流した。
  2. 家に帰ってからも、負傷した部分を水道水で洗浄した。
  3. サランラップを傷口に合わせて切り取り、ワセリンをそれに塗る。
  4. ワセリンを塗ったサランラップを傷口をかぶせるように絆創膏で貼る。
  5. 3・4を毎日繰り返す。

結果として、最初から傷口のヒリヒリ感とか腫れもほとんど現れなかった。

10日ぐらいで傷口も塞がり目立たなくなってきた。

 

従来型の消毒液で傷口を洗浄し、ヨードチンキを塗り続ける。ということを一切しないで治すことができた。

自分としてはものすごい冒険みたいな出来事であったが、自然治癒力を知る大きな経験となった。

 

あれから1年と数ヶ月経過したが、傷がどこにあったのかわからないぐらいに回復している。

 

 

 

マイルール

車を運転しているとなかなか法規通りに実行できないことがある。

 

私の場合は、一時停止マークのある場所で、確実に一旦停止すること。これができなかった。

 

長年の運転習慣として信号機のない交差点では、大体一時停止のマークがあるのだが、

そこでは停止線のところでは止まらず、徐行しながら左右の車の通行が確認できるところまで移動し、車の状況を見ながら進入できると思ったら停止しきれないまま発進する。

止まらなくてはいけないと思いつつも、車が来ないとつい確実に止まれないままずるずると行き、「よっしゃー」と思いアクセルをおもいきり踏み込んでいく。私を含め、こういう人が大勢だと思う。

 

5、6年前の頃から、一時停止の交差点では確実に停止できるようになった。

停止線のところでしっかり止まり、そして口で『1・2・3』と数えている間ブレーキを踏み続ける。その後はブレーキを緩め、ゆっくりと進み左右の状況を確認しながらアクセルを踏む。・・・・これが一つ目のマイルールである。

 

街の中でよく取締りが行われる一時停止ありの交差点があったが、私の真似をする人が多くなった?のか、違反者が少なくなり取締りが最近行われていない。

 

二つ目のマイルールは、

 

食事の時、おかずから食べて最後にご飯を食べる。ということである。

 

2、3年前から、血圧が少し高めになってきたこともあり、早いうちに対策を取っておこうと考えて塩分控えめの食生活を実行することにした。

 

濃い味付けに慣れてしまった体質は最初の1週間はきつかった。薄味のおかずはご飯のお供になりにくい。それで必然的におかずから食べてご飯を後回しにするようになったのである。今では、薄い味付けにも慣れて美味しくいただけるようになった。体調も良くなってきた。

花粉症対策

お題「花粉症対策」

 

  • くしゃみが連続して出る
  • 鼻水が止まらない
  • 目が痒くなる
  • 頭が重い感じがする
  • 鼻が詰まって口呼吸になりやすい
  • 集中力がなくなる
  • イライラすることがよくある
  • 鼻の下がヒリヒリする
  • 夜なかなか寝付けづ睡眠不足になりやすい

こういったことが私の花粉症の症状である。

40年ほど前で小学校高学年の頃からこういった症状があったと記憶するが、当時は花粉症という病名というか言葉が存在していなかった。単なる軽い風邪ぐらいに捉えていたと思う。鼻がよく詰まるのでティッシュを丸めて抉っていた。その結果、鼻血がよく出た。挙げ句の果てには、骨が曲がってしまい中学3年生の夏に手術をすることになってしまった。今となってはとんだ笑い話である。

 

花粉症と自覚したのは大学を卒業した23歳の頃である。

当時はマスクをつけることに抵抗があった。それで薬で症状を和らげようとした。

タバコも吸っていた。最悪である。薬が効くはずがない。

それから20年間一過性のものだと思い同じように生きてきた。

いい耳鼻咽喉科の病院を探し車で1時間ほどかけて通院したこともある。

薬も処方通りに飲んできた。

 

しかし、すぎ・ヒノキの花粉の飛散量が少なくなる頃には自然と症状が治まってきているのである。

 

私は気がついた。花粉を近づけない生活をすれば良いのではないかと。

 

その対策として

  • メガネをかけても曇らないマスクを外出中のみ着用
  • メガネの上からかけられる花粉対策用メガネをかける
  • 病院にはいかない
  • 副作用のある薬は飲まない
  • 免疫力を高める生活をする
  • リズム正しい生活をする
  • ウォーキング30分以上の実行
  • よく噛んで食べる
  • 塩分少なめの食生活

以上のようなことをここ5、6年実行してきた。

幸いにも、今年は例年になく症状が出てきていない。

こんなすっきりとした(頭の中が)5月を迎えるのは初めてかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

くつ下

お題「くつ下」

 

本質的に人と会うと緊張するタイプなので

脇、手のひら、足の裏とか、よく汗をかく。

それで、特に靴下には気を使う。

 

3年前、右足親指の爪の先に少し色の変化があることに気づいた。

スマホで検索してみた。明らかに爪水虫の初期段階であった。

 

対策として、

  1. 病院にはいかない
  2. 薬は服用しない
  3. とにかく自然治癒力を信じる
  4. 足を清潔に保つ
  5. 普通の靴下から5本指ソックスに変える
  6. 傷口はワセリンを塗る
  7. 副作用がないチャフクリーンを就寝前に指全体に噴霧する

7月から9月の約3ヶ月たったころ回復の兆しが見られた。

その年の冬場は人前でも5本指ソックスを着用した。

そして、夏場は草履に裸足と、足をなるべく涼しく保った。

1年経ったら、爪の波打ちもなくなりほぼ正常になってきた。

2年目には、白く濁っていた爪もピンク色に変わってきた。

3年目の今年はじめ、爪水虫部分だったところが2ミリ四方の塊となってポロリと落ちた。最初は爪の先がでこぼこで心配したが、今は真っ直ぐになっている。

完治したと確信できた瞬間である。

 

最後に私にとっていい靴下とは、

  • 5本指であること
  • きつくないこと
  • 履き口がゆるいこと
  • 丈が短いこと
  • 少しおしゃれであること        

なぜなら、ストレスを感じないからである。

 

 

 

 

 

好きな調味料

好きな調味料は、ズバリ「合わせ酢」である。

親しくしている醤油製造会社の社長さんから、「これとマヨネーズを混ぜてレタス、キャベツを食べてごらん」といただいたのがきっかけである。

その夜早速食べてみた。

本当に美味しかった。

 

おすすめメニューとして、

鰹のタタキに玉ねぎの千切りをたっぷり添えて、その上から『合わせ酢』をかける。

適当にニンニクをつけていただく。酒の肴に最高だ!

 

スーパーで買ってきた握り寿しにたまたま醤油が入ってなかったので、『合わせ酢』

食べてみた。意外と美味しくいただけるものだ。

 

我が家のスーパードレッシング『合わせ酢+マヨネーズ』は自分好みに味を調整でき、

どんなサラダにも対応できるおすすめの1品である。