毛筆で書くことは実に面白い

私が幼少の頃、

親父は都会に出稼ぎ、

お袋は布団縫いで生計を立てていた。

お小遣いをもらうとか、おやつを買ってもらうとかなかった。

で、家族の家計は、

お袋、妹、私の3人の1日の食費を確保するのがやっとだった。

 

そういう中で、小学3年になった頃、

道教室の募集があった。

授業料は、

小学校の先生が教えてくださるということで無料ということだった。

私は、学校の授業以外で何かを学べるということに

当時ものすごい魅力を感じており、

その勢いでお袋に「書道教室に入りたい」といったところ、

頭ごなしに「授業料は無料でも書道用具を買うお金がない」と言われた。

ショックだった。

私は素直に受け入れることができなかった。

怖いお袋に初めて反抗した。

「かあちゃんは子供が好きなことをどうしてやらしてくれないのか」と。

私は泣いてしまった。

生まれて初めて自己主張した瞬間だった。

 

翌朝、入会申請書にお袋の文字があった。

一通り書道用具も買ってもらった。

頑張って上手な文字を書けるようになっていこうと決意した。

実際の書道練習は、

真剣に励み、それ以外では

例えば全校清掃時間が早めに終わった時など

小さな定規みたいな竹の切れ端を見つけて

それを筆として応用し、土のグランドを半紙に見立てて

払いの練習をした。

時には、文字の形(手本)をイメージして描くこともあった。

この練習方法はかなり面白かった。

これが功を奏したのか、2、3年経過した頃はかなり上達していた。

半紙・墨汁代も節約することができ一石二鳥だった。

小学6年になると、

有段者になっており

秋の学芸会で

全校生徒の前で毛筆書きを披露することになった。

それも壇上である。足がガクガク震えた。

いざ書き出すと少し落ち着いてきて集中できた。

『努力』と書いた。上手く書けた。

先生に「力強くて良い字が書けたね」と褒められた。

照れ臭いが、嬉しかったのを覚えている。

私はこの経験を通して

書道を書く時に限っては緊張しなくなった。

みんなに囲まれて見られていたとしても、である。

ただ基本的に人前に出て話をすることは50歳を超えた今でも緊張するし、苦手である。

 

中学・高校時代は、書道以外の部活動を選択したが、

たまに親戚のおばさんに書き物を頼まれたり、

模造紙4枚つなぎのものに400文字ぐらいの有名な詩を毛筆書きしてくれと

依頼されたこともあった。

これで作品の文字の配置の仕方、構成力も

自然のうちに身についていったと思う。

 

大学ではもっと専門的に書道を深く探求しようと部活動に専念した。

プロの書道の先生の指導も受けることができた。

その中で印象に残っている言葉がある。

いわゆるボールペン書きは、

基本的に、たて・よこの平面行動であるが

毛筆書きは、

たて・よこに加えて、高さ(上下)が加わる立体的行動である。

だから、一人一人違った線が出て、個性が出る。

書道は線質が大事である。

私個人の線質を出すときの持ち方は、

筆の柔らかさを指先で感じ取れるぐらいの力でもつ。

じかーっとは握らない。

じかーっと握るとその時点で生き生きとした線は書くことができない。

それができるようになったら、

ちょっと力を入れて握ってごらん。

線が太くなりますよ。

今度は力を少し緩めてごらん。

線が細くなっていきますよ。

このように太くしようとか細くしようとか思わなくても、

握る(筆を触る)力加減で

線は太くなったり細くなったりするのである。

だから、書には心が表れるのである。

私は、ボールペン書きは思うままに書けないが

筆書きは、手本が無くても思うままに書くことができる。

白の空間に、黒の線を入れていくのが

書道の作品であるが

いい作品というものは黒い部分の線というよりは

以外に白の部分が光り輝いて見えるものだ。

白が美しく見えるのがいい作品とも言える。

そういった観点で展覧会を見て欲しい。

ああ実に書道は奥が深いし、毛筆で書くことは面白い。